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2013/10/10

翻訳ものの罠

こんにちわ、管理人のJUJUです。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。

会話にリアリティがないと言われたことがあります。
リアルを追及しているにも関わらず、肝心の登場人物たちの会話にリアリティさが欠けるとは、なんてこった!
一人、落ち込みました。

一体どうしてそうなってしまったのか、深く考えた末、出てきた答え。

それは、翻訳ものの存在です。

海外の作品を結構好んで読みます。
趣味で聴く海外のアーティストや追いかけているアスリートたちの記事を読む機会も多いわけですね。
それは、もちろん日本語に翻訳されたものを目にすることになります。
英語、フランス語、スペイン語など聴いたり、読んだりするだけでそのニュアンスが理解できるほど頭が良いわけではありません。

ですから、そのほとんどは日本語に翻訳された文章になります。
日本人ならインタビューでの話し方や仕草、言い回しなどから人柄が表れたりしますが、翻訳の場合はそういうことでもありません。
言葉自体に強いメッセージがあれば、その人の個性が前面に押し出されるというものですが、そうでない場合、それはそれは皆普通、なのです。

「そうかい? 僕のこと? それはどうだろうね。でも、僕のことを愛してくれていると感じることが多いよ。これからもそうあってほしいと願っているさ」

これはあるインタビューで語られた海外アスリートの言葉なのですが、リアリティさに欠けますか?
確かに、日本人ならこんな言い方はしませんね。
では、少し修正してみます。

「そう? 俺かぁ、 どうかな。まあ、俺のことを応援してくれてるって感じることが多いしね。これからもそうだといいけど」
または、
「僕のことですか? どうですかね。僕のことを応援してくれていると感じることはありますよ、結構。これからもそうだと嬉しいんですが」

お分かりになりますでしょうか。
これです。これがリアリティさの欠ける部分ということなのでは、と思うわけです。

自分は毎日のように海外の記事を読みますので、少しもおかしいと感じることはありません。
海外の人は日に何回も「愛している」と言いますし、曖昧に言葉を濁したり、否定語はあまり使いません。

登場人物が外国人の場合、自分にとってのリアリティさというものはここからきているものかと思います。
彼らは至って普通で、言い回しにクセがあまりありません。それは、自分自身が翻訳ものを読んでいるのが理由です。

だからといって、彼らに個性がないというわけではありません。
自分が理解できていないだけで、彼らにも話し方や仕草、言い回しなどのクセがあって、文章の並びや言葉の端々に普通でない部分、他の人とは違う人柄が表れているかもしれないのです。

「マジ?」「うそだろ」「てやんでい」とか日本人にしかわからないニュアンスは、日本人の登場人物の時に使用すればいいかなと勝手に使い分けていますが、外国人にだって、きちんと訳せばそういうニュアンスの言葉がたくさんあるはずですよね。

そういう意味で、リアリティさに欠けるということなんだと思いました。


では、どうしましょう?
はて、今までの書き方で会話にリアリティがないということは、変えなければ意味がない。


しばし、考えがまとまるまで、外国人の登場を控えてみます。


然らば、感謝を。
お読みくださってありがとうございます。
台風がやっと去りましたね。直撃した地域の皆様、ご無事でしょうか。踏んだり蹴ったりな季節に負けないよう、共に頑張りましょう!
※CLAP、ランキングへのご協力、たくさんの応援メッセージやコメント、いつも感謝しております!
Merci,vielmal:)


BBQ管理人:JUJU

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