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2012/06/29

◆Non-Communications(3)

オリジナル小説をアップ致しました。

オムニバス短編集:Non-Communications
タイトル:(3)スマッシュ
完結していますので、お気軽にお読み下さい。
ノーマル小説です。

「Communication」
生命体が、感情、意思、情報などを、発信受信応答、つまりは、相互連絡関係をもとうとすること。
コミュニケーションを苦手とする21世紀の現代人。
それを生活の一部とせずとも一人、立派に毎日を生きている。

彼らなりのコミュニティの一欠片を覗いてみよう。それはもしかしたら、あなたの一部かもしれない。
そして、現実を見られないまま。


ぜひ、こちらからご覧ください。

2012/06/27

◆Non-Communications(2)

オリジナル小説をアップ致しました。

オムニバス短編集:Non-Communications
タイトル:(2)ピアニッシモ
完結していますので、お気軽にお読み下さい。
ノーマル小説です。

「Communication」
生命体が、感情、意思、情報などを、発信受信応答、つまりは、相互連絡関係をもとうとすること。

コミュニケーションを苦手とする21世紀の現代人。
それを生活の一部とせずとも一人、立派に毎日を生きている。

彼らなりのコミュニティの一欠片を覗いてみよう。それはもしかしたら、あなたの一部かもしれない。
そして、未来は見えないまま。


ぜひ、こちらからご覧ください。

2012/06/26

お題に挑戦

貴方の今していた事を小説っぽく書く

『薬をください』

 夏が近いというのに肌寒さに体を震わした。
 仕事から帰る道すがら、歩道横の花壇に咲くアジサイに目を奪われた。梅雨時期に多い台風に見舞われた週末を思い出し、鳥肌の立った腕を擦った。
 体があまり言うことを聞いてくれない。頭も痛みを発している。
 暖かい日が続いたと思ったら、季節を逆戻りしたかのような寒さ。
 真夜中、作業に明け暮れる日々を過ごす私はうまく対応しきれていない。薄着のまま床冷えに身震いしてもパソコンの前から動かない私は、案の定風邪を引いてしまったようだ。

 だが、やらなければいけない仕事が山のように溜まっている。期限は待ってはくれないのだ。
 書かなければならない作品がフォルダの中に埋まっている。朽ちてしまわないうちに完成させねばならないのだ。ネタも生モノだということを忘れてはいけない。
 そして、観戦しなければならない試合がある。試合はたった一度きりなのだ。何度も感動的なシーンに出会えるわけではない。

 買ってきた夕食の具材をキッチンに並べてみても、手は一向に動かない。
 風呂を洗おうとバスルームに足を踏み入れたが、定まらない視線は、窓の外から離れない。
 脳が動かないのだ。手足の動かし方を忘れてしまったかのように、私の体は私の物ではなくなった。

 なんとか作った粗末な夕飯をつまみ、苦い薬をのどヌールスプレーで飲む。
 どうにも頭が動かないが、無理矢理にでもキーボードを打ち続ける。
 ああ、何ということか。
 仕事をするのではなかったか。
 作品を書くのではなかったか。
 試合を観るのではなかったか。

 何ということだ。
 私は今何をしている?
 私の目の前のパソコンのモニターには「お題に挑戦」という文字がタイトルの中に優雅に佇んでいた。
 すべては風邪のせいだ。私を犯すアホという名のウィルスのせいだ。
 バカにつける薬はないというが、アホに効く薬はないものか。




――お粗末様でした。

◆Non-Communications(1)

オリジナル小説をアップ致しました。

オムニバス短編集:Non-Communications
タイトル:(1)コタロー
完結していますので、お気軽にお読み下さい。
ノーマル小説です。

「Communication」
生命体が、感情、意思、情報などを、発信受信応答、つまりは、相互連絡関係をもとうとすること。
コミュニケーションを苦手とする21世紀の現代人。
それを生活の一部とせずとも一人、立派に毎日を生きている。

彼らなりのコミュニティの一欠片を覗いてみよう。それはもしかしたら、あなたの一部かもしれない。
そして、答えは見つからないまま。


ぜひ、こちらからご覧ください。

2012/06/09

裸の心を綴る

こんにちわ、管理人のJUJUです。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。

自分や他人に苛立ちを感じたりはしませんか。
思うようにいかないことばかりで、嫌になることはありませんか。
世の中を悲しんだり、憎んだり、呪ったりすることはありませんか。

よく、あります。
幸か不幸か、文章を書くことが趣味の一つです。
焦りや怒り、不安や悲しみを感じた時に、文字を綴るという行為に走ることがあります。
ただいたずらに自分の作った文を安売りしているわけではありませんが、自分の立場、生きる世界、他人との距離感を知る上で役立ったりします。

作品を書いていて自分を知ることがあります。
考え方、感じ方、言い回し、表情や仕草まで、やはり自分の鏡となってしまうのかもしれません。
『眉間にしわを寄せる』という場面が多いのは、私生活でも頻繁に眉間にしわが寄っている可能性があります。
『前向きな台詞』を書いている時は、作者自身もポジティブなことが多い。逆に『負の気持ちをさらけ出している』場面は、キーボードを打っている本人もやたらネガティブになっています。

作品には、作者の心が反映されるということでしょうか。
それは好みという枠組みで区切られるものではなく、心と創作物が深くつながっているということなのかもしれません。

実体験を作品にしている方もおられます。
自分の気持ちがそのまま主人公や登場人物の心となるのですから、情景は生きてきますね。有名な作家も自分自身を書いた作品を世に送り出して成功しています。
ですから、裸の心を書くという行為は自分にプラスに動くことが多いと個人的には思っています。

日々抱える焦燥を文章に書き表すことがあります。
ただアレコレと思ったこと、感じたことを書いても問題ないとは思いますが、その文章から得られるものは多くはないと思うので、自分にとってのバイブルを書くようにしています。
そこから得られる何かを綴ることで、自分自身に理解させ、納得させるということです。
愚痴を吐くのとなんら変わりはありませんが、すべて否定から入りますので、自分に怒られ、説かれ、励まされ、背中を押されます。
すべてが良い方向に動くわけではありませんが、マイナスにはなりません。

それは、作品を通してお客様に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい、と思うのと同じではないかと思うのです。
自分の書いた文章から、理を知り、理解をし、視野を広げ、自分を客観的に観察する。
そうすることで、人生を喜びと共に楽しみ、目いっぱい謳歌できるのではないかと。

お恥ずかしいことに、そんな胸張って語れる大それた人生でもありませんし、自慢できるほど充実した生き方をしているわけではありません。
彷徨う子羊のように、あっちにフラフラこっちにフラフラと迷子状態です。
でも、自分を知る上で裸の心を綴ることが役に立っているのは、間違いないと思います。

作品とは言えませんが、自分のバイブルをサイトの方にアップしました。
興味がおありでしたら、目を通していただければと思います。
作品とは言い難いものですので、サイトトップページの新着には載せません。どこかにポツンとおりますので、そちらからページへとんでいただければと思います。
迷子の戯言。そう軽く考えてお読みください。
ただ、お読みになるお客様の豆粒、いや米粒ほどのお役に立てればとても嬉しいです。


然らば、感謝を。
お読みくださってありがとうございます。
梅雨の時期に突入でしょうか。温度差のある毎日ですので、風邪を引かないようお気を付けください。

※CLAP・コメント、QUESTIONSへのお答え、大変感謝しております。ありがとうございます。Merci,vielmal:)


BBQ管理人:JUJU