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2012/06/09

裸の心を綴る

こんにちわ、管理人のJUJUです。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。

自分や他人に苛立ちを感じたりはしませんか。
思うようにいかないことばかりで、嫌になることはありませんか。
世の中を悲しんだり、憎んだり、呪ったりすることはありませんか。

よく、あります。
幸か不幸か、文章を書くことが趣味の一つです。
焦りや怒り、不安や悲しみを感じた時に、文字を綴るという行為に走ることがあります。
ただいたずらに自分の作った文を安売りしているわけではありませんが、自分の立場、生きる世界、他人との距離感を知る上で役立ったりします。

作品を書いていて自分を知ることがあります。
考え方、感じ方、言い回し、表情や仕草まで、やはり自分の鏡となってしまうのかもしれません。
『眉間にしわを寄せる』という場面が多いのは、私生活でも頻繁に眉間にしわが寄っている可能性があります。
『前向きな台詞』を書いている時は、作者自身もポジティブなことが多い。逆に『負の気持ちをさらけ出している』場面は、キーボードを打っている本人もやたらネガティブになっています。

作品には、作者の心が反映されるということでしょうか。
それは好みという枠組みで区切られるものではなく、心と創作物が深くつながっているということなのかもしれません。

実体験を作品にしている方もおられます。
自分の気持ちがそのまま主人公や登場人物の心となるのですから、情景は生きてきますね。有名な作家も自分自身を書いた作品を世に送り出して成功しています。
ですから、裸の心を書くという行為は自分にプラスに動くことが多いと個人的には思っています。

日々抱える焦燥を文章に書き表すことがあります。
ただアレコレと思ったこと、感じたことを書いても問題ないとは思いますが、その文章から得られるものは多くはないと思うので、自分にとってのバイブルを書くようにしています。
そこから得られる何かを綴ることで、自分自身に理解させ、納得させるということです。
愚痴を吐くのとなんら変わりはありませんが、すべて否定から入りますので、自分に怒られ、説かれ、励まされ、背中を押されます。
すべてが良い方向に動くわけではありませんが、マイナスにはなりません。

それは、作品を通してお客様に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい、と思うのと同じではないかと思うのです。
自分の書いた文章から、理を知り、理解をし、視野を広げ、自分を客観的に観察する。
そうすることで、人生を喜びと共に楽しみ、目いっぱい謳歌できるのではないかと。

お恥ずかしいことに、そんな胸張って語れる大それた人生でもありませんし、自慢できるほど充実した生き方をしているわけではありません。
彷徨う子羊のように、あっちにフラフラこっちにフラフラと迷子状態です。
でも、自分を知る上で裸の心を綴ることが役に立っているのは、間違いないと思います。

作品とは言えませんが、自分のバイブルをサイトの方にアップしました。
興味がおありでしたら、目を通していただければと思います。
作品とは言い難いものですので、サイトトップページの新着には載せません。どこかにポツンとおりますので、そちらからページへとんでいただければと思います。
迷子の戯言。そう軽く考えてお読みください。
ただ、お読みになるお客様の豆粒、いや米粒ほどのお役に立てればとても嬉しいです。


然らば、感謝を。
お読みくださってありがとうございます。
梅雨の時期に突入でしょうか。温度差のある毎日ですので、風邪を引かないようお気を付けください。

※CLAP・コメント、QUESTIONSへのお答え、大変感謝しております。ありがとうございます。Merci,vielmal:)


BBQ管理人:JUJU

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