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2014/06/20

凡人たる生き方

こんにちわ、管理人のJUJUです。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。

「誰かと同じ」は、嫌いですか?
それとも、「誰かと一緒」が好きですか?

「◯◯ちゃんが持ってるから、同じものが欲しい」と言って母親を困らせていた経験が皆さんにもあると思います。
もしかしたら、「◯◯ちゃんのものより良いものが欲しい」と特別をねだったでしょうか。
なんにしても、誰かがラインを引き、そのライン上、もしくはそれ以上のものを欲する幼児期を誰でも経験してきたと思います。

いつの間にか、誰のラインにも惑わされない自分だけのラインを引けるようになりました。
ですが、それでも「誰かと同じ」であって、「誰かと一緒」なわけですね。
それを一々嫌がっていては生きてはいけない。
普通である自分、凡人である自分は、誰とも違わないということです。

自分だけの特別を見つけようとする気持ちは、思春期から生まれてくるのだそうです。
中二病と呼ばれる病(病気なのかは置いておいて)にかからない人はいないでしょう。皆必ず通る道です。
自分は特別なのだと思いたい、そんな時期ですね。
通り過ぎてしまえば、微笑ましいだけの甘酸っぱい思い出ですが、彼らに共通している「特別視」はその後の人生の中で大きな軸になり得ると、個人的には思います。

「普通」が嫌だと言って己の道を探したり、「特別」になりたいと言って大きな夢を求めたり、そんなくだらないと思える理由で人生って変わるものなんですよね。

やりたいことはない。でも特別になりたい。

いいと思います。羨ましいほど自分を愛して堪らない。
やりたいことはないけれど、それでも特別になれるのだと信じているその気持ちの強さは、笑われることもあるかもしれませんが、とても素晴らしいと思うのです。
自分は何かができる。成し遂げることができる。なんの根拠もないけれど、そう信じる。

いつか、やりたいことが見つかった時、その気持ちの強さが現れるはずです。
強く信じているのなら、少しのことで諦めたりしません。ちょっとした壁にぶつかってもへこたれたりしません。辛いと感じても逃げたりしません。
本気でそう信じているのなら、根性だけは負けません。


万が一、そうでなかった場合。
ああ、もしかして自分って特別じゃなかったんだなと感じたり、自分よりも上の人間を目の当たりにした時のショックは、きっと立ち直れないほど大きい。

その時、うまく切り替えができたのが世界中にいる大人たちではないでしょうか。
普通でいいと思えた瞬間、それは敗北でも諦めでもなく、別の選択をしたということなのではと思うのです。
もちろん、負け犬ですし、根性なしです。
夢に破れ、現実を見せられ、尻尾を巻いて逃げるのですから、 世界の一握りの成功者となれなかった自分はただただ凡人です。

でも、凡人たる生き方を選んだのだから、敗北でも諦めでもないと思えます。

誰でも「特別」になれるわけではありません。上には上がいるのですから。
距離を測って、走ってみて、追い越せないとわかったのなら、他の道を探してもいい。
その道を「特別」にするのは、選択した自分だけです。

面白いことに、自分のラインを見出すと、他人をコントロールできないことを知るんですね。
それは、自分は自分、他人は他人とはっきり理解したことになるのですが、母親に言われたことを思い出します。
「うちはうち、◯◯ちゃんちは◯◯ちゃんち」

ごもっとも!
拍手ものです。少しも間違っていない。

特別かもしれない◯◯ちゃんと、特別でないかもしれない自分は違うのだと。
凡人かもしれない◯◯ちゃんと、凡人でないかもしれない自分は違うのだと。

ただ経験値だけが多い臆病な大人にだけはなりたくないと個人的には思います。
偉大な人は皆、挑戦者たちだと思うからです。

凡人だって、まだまだ挑戦したい。
チャレンジ精神に限界はないんですね。素敵です。


然らば、感謝を。
お読みくださってありがとうございます。
通勤時間は読書時間となりましたので、ものすごい勢いで本棚に積まれた未読の小説が消化されていきます。読む本がないと不安になる始末。ちょっとバランスを取って、書く方にも専念したいと思っています。
※CLAP、ランキングへのご協力、たくさんの応援メッセージやコメント、いつも感謝しております!
Merci,vielmal:)


BBQ管理人:JUJU   

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